7月 1, 2009
さて、菩提樹の下で
「我れ正覚を成ぜずんば、終にこの座を起たず」
と覚悟をされたお釈迦様ですが、じつは乳買いの娘から新鮮な乳を口にしたおかげで回復したお釈迦様の姿を橋陳如ら5人の従者がひそかにこの始終を見ていたのです。
「遂に太子は苦行に耐え切れず墮落した。
修行者にとっては大蛇よりも恐いといわれる女人から乳を受けた。
あんなことでは絶対菩提など獲られるものではない。
あんな墮落者に随侍していたら、我々も一緒に墮落してしまうぞ。」
とささやきながらお釈迦様を見捨てて西方バラナシ国に去っていきます。
確かにこれまで苦行していたお釈迦様が急に苦行をやめ、女人から乳を受けたとなると気がどうにかなってしまったのではないかと驚くでしょう。
お釈迦様の心中まで覗き見ることはできませんからね。
私がその橋陳如であったとしても、そう思うでしょう。
慕っていたからこそ、よけいに腹が立つでしょう。
お釈迦様の元を去っていった者たちの心中も分かってしまいますね。
さて、一人、修行するお釈迦様。
彼の修業中幾多の怪奇現象がおこります。
女色愛欲の誘惑や化怪象の威嚇などなど、一説には、悪魔がお釈迦様が悟ることを恐れ、さまざまな罠を仕掛けたのです。
数多の誘惑に揺るぎもせずに静かな山の如く、深遠なること海のごときお釈迦様のの忍耐と剛毅によって、ついに35歳の12月8日、お釈迦様は遂に一見明星して大悟徹底、三世十方の実相を諦観せられ、三界の大導師たる仏陀となられたのです。
悟りをひらいたお釈迦様は、これから彼の元を去った橋陳如達にまず会いに行きます。
そのことについては、これから追々紹介していきますね。
何度も言うようですが、親鸞会では親鸞聖人の教えを「すべての人を絶対の幸福に救い摂る」ことと現代語で説明しています。
この親鸞会の教えは、お釈迦様の考えと同じではないかと私は思います。
6月 20, 2009
お釈迦様は、橋陳如とお供の者たちが城へ戻った後も苦行を続けます。
日に一麻一米を食し、私たちの想像も及ばないような苦行です。
当時、悟りを開くためには苦行あるのみといった考えが当たり前でした。
お釈迦様もその考えにしたがい、節食・断食・呼吸の制御・特殊な立ち方や座り方などなど肉体的な苦痛を受け、五火の苦行をなどによって未来隊に打ち勝つ力をつけ、忍耐の精神と意思の鍛錬をするといったことを目的とした修行です。
しかし、これらの苦行をしても、まったくお釈迦様は悟りを開くことが出来なかったのです。
苦行によって心身ともに衰弱し、樹によりかからないと立っていることすらままならないお釈迦様は、苦行主義を捨てます。
「苦行によって衰弱した心身の力を回復しなければ、正しい智慧は生じない」
と考えたお釈迦様は、ニレゼンという河で水浴びをします。
垢を落とし、身を清められたのです。
しかし、苦行を止められたばかりの疲れ切った体では河に入ったものの、岸へはい上がる体力も気力も尽きていたのです。
そこへ通りかかった乳買いの娘にお釈迦様は一杯の乳の供養を請われます。
苦行によってやつれてはいたものの、お釈迦様のたぐいまれなる姿に乳買いの娘は喜んで新鮮な乳を捧げます。
新鮮な乳を口にしたおかげで、お釈迦様は気力を回復します。
そして悟りへの決意も新たにニレゼン河のほとりの菩提樹の下に座って
「我れ正覚を成ぜずんば、終にこの座を起たず」
と覚悟をされたのです。
お釈迦さまについていろいろ調べていたのですが、親鸞会の方が詳しくブログで書いていらっしゃいました。
やはり親鸞聖人とお釈迦様は似たものがあるからでしょうか????
6月 1, 2009
一樹の下で瑞座熟思しているお釈迦様を発見した橋陳如とお供の者たちは、一同に父王を始め、妻のヤショダラ姫らからの熱烈な伝言をお釈迦様に伝えます。
「世の中の出家の動機には4通りあります。
病気や老いの苦しみ、貧しさや愛する者との死別などです。
しかし太子(お釈迦様のこと)にはこの四つの動機とも当てはまりません。
年若くて壮健で、貧しさとは縁遠く、ご家族の方がたもお変りはありません。
だというのにどうして若い楽しみを捨て、一衣一鉢の粗末な姿になられて遠い悟りを求められるのですか?」
橋陳如とお供の者たちにはお釈迦様の気持ちは理解できないものだったでしょう。
聡明なお釈迦様に次期王として城に戻ってきてほしかったことでしょう。
五人は涙ながらにお釈迦様に変心を願って帰城を懇願しました。
しかし、正覚を成就するまでは帰国しないというお釈迦様の決意は大地のように強く微動だにしなかったのです。
5人にお釈迦様がその時答えた言葉とは・・・
「お前たちにはわからないのか、あの激しい無常の嵐が、まだ分からないのか。
ものはみな常住しないのだ。いずれの日にか衰え、いずれに日にか滅ぶのだ。
快楽の影にも無常の響きがこもっているのだ。
美女の奏ずる弦歌は欲をもって人を惑わすのみだ。
三界は悩みのみ、猛き火の如く浮かべる雲の如くj、幻や水泡の如し。
若きを愛すれどやがて老いと病と死の為に崩れ去るのだ」
お釈迦様の火の玉のような菩提心を聞き、橋陳如とお供の者たちは涙をのんでいったん城へ戻ることにします。
ブッダ(仏陀)とも釈尊とも呼ばれているお釈迦様の出家への意志の強さがうかがい知ることができますね。
5月 19, 2009
前回はお釈迦様と親鸞会の親鸞聖人についてお話ししましたが、今日は親鸞会の話題から戻ってお釈迦様が出家されるあたりの頃の話から。
お釈迦様は、ある日夜中にふと目を覚まされます。
すると、父王が侍らせてくれていた500人の美女たちが昼間の美しい姿はどこへやら、寝像も悪く眠りこけている姿を目の当たりにして驚愕します。
そして美しい女性たちのこの醜く眠りこけている姿こそが真の人間の姿だと集kkを決断されるのです。
最愛の妻と幼い息子を抱きしめてから出家しよかとも思いましたが、抱きしめることによって目を覚ましてしまっては、出家を止めるに違いないと、後ろ髪を引かれる思いで城を出るのです。
シャノクという使者一人と白馬ケンジョク一頭だけを連れて。
お釈迦様が出家をされたのは、お釈迦様が29歳の2月8日のことでした。
私よりもはるかに若くしてこのような思いになるとは、やはりお釈迦様としか言えないですよね。
世の中の偉人さん達とは、皆さん根本的に一般人とはなにかが違うんでしょうね。
父王はお釈迦様がいなくなったと知ると、即座に重臣たちを集め、お釈迦様の行方を聞きましたが、知る者は勿論いません。
父王が途方に暮れていると、橋陳如という過信がお釈迦様の探索を願い出ます。
父王は喜び、橋陳如に4人の供をつけ、思いなおして連れ戻してくるようにと命じます。
国中を探し回った橋陳如達は、ようやく一樹の下で瑞座熟思しているお釈迦様を発見するのです。
4月 29, 2009
お釈迦様が結婚されていると言うことは誰もが知っていること絵です。
よく修行者は妻子を持ってはいけないなんてよく聞くけれど、実は浄土真宗の中にも妻子をもたれた方がいらっしゃるようです。
それは、浄土真宗親鸞会の親鸞聖人です。
親鸞会は親鸞聖人の教えを「すべての人を絶対の幸福に救い摂る」ことと現代語で説明している点で、お釈迦様の考えと同じなのではないでしょうか。
お釈迦様は、四門出遊で出家して老・病・死に直面してもかわらぬ幸福を求めたいと出家され、ついには悟りを開かれます。
また、釈迦様は出家前とはいえ、妻子がいました。
親鸞聖人にも妻子がいます。
こう言った面でも似ていると思いませんか?
お釈迦様のいらしたインドでは、仏教が弾圧され、いまでは仏教の聖地でありながら仏教とはわずか数パーセントしかいないそうです。
それは、イスラム勢力の侵略によって仏教の拠点精舎を破壊・虐殺したことによってであるともされていますが、インドで仏教との数は今日それほど多くありませんが、その代り、中国や日本などで仏教は広がって言っています。
お釈迦様の聖地から遠く離れた日本人がお釈迦様と同じ考えを持ち偶然にも妻子を持つという共通点を持つだなんて、日本人として少しうれしい気がします。
それにしても、宗教というのは思想であって、どの宗派を信仰しようと自由だし、他の宗派を批判するつもりはありません。
私自身実家に仏壇はあっても、宗派を最近まで知らないほどに宗教に疎かったです。
(; ̄ー ̄川
宗教によって戦争を起こすことが愚かなことじゃないかなって思っている今日この頃です。
4月 18, 2009
前述のお城の門を出て出家したいと願うお釈迦様のことで書き忘れたことがあったので補足しておきます。
4方向の門から出、老・病・死について苦悶し、最後に修行者と出会い出家したいと強く願うようになったことを『四門出遊』というそうです。
この時の「出家したい」という思いを父王の前で申し出ます。
父王は驚きます。
当たり前ですよね。
地位も名誉も財産もましてや才能も生まれもっているというのに、それらすべてを投げ売って出家したいと言っているのですから。
普通その恵まれた環境からあえて修行の道を選ぶ人なんていないでしょうし、お釈迦様はその才能から時期王としてふさわしい人物でしたから。
父王は「何が不足でそんなことを言い出すのだ!望みは何でも叶えてやる、だから城をでていかないでくれ」と。
すると若きお釈迦様は
「それならば
決して追いない体になること
決して病にならない体になること
決して死なない体になること
これらを叶えてくださるのであれば、出家せずにとどまりましょう」
と答えたのです。
その様な願いは叶えることが出来るはずもなく、父王はその場を去ります。
その後、父王はお釈迦様が日常を退屈そうに過ごしているのを見て四季に合った御殿を建て、500人の美女に昼夜歌舞を奏させてお釈迦様を慰めようとしました。
お釈迦様は
「この美しい女たちといれば、悩みも無くなるかもしれない」
と戯れに数年を過ごします。
お釈迦様とは言え、悟りを開かれる前はやはり人間だったのですね。
さすがに500人の美女を目の前にしては、出家への考えも躊躇してしまうのでしょう。
何となく親しみを感じてしまうのは私だけかしら?
4月 6, 2009
お釈迦様はいく日もこの人間の世界の矛盾について考えられ、あるひ気晴らしにとカピラ城の外に出てみます。
東門から外に出ると、腰は曲がり、歯は抜け落ち、しわしわをした老人と遭遇します。
老人がよろよろと杖をついてやっとやっと歩いていくその姿を見てお釈迦様は
「私もいつかあのように年老い、体力もなくなくなって苦しむのだろうか・・・・」
と苦悶します。
別の日、お釈迦様は南門から城の外に出てみると、伝染病によって体はやつれ、生気もないような姿でうめき苦しむ病人に出会います。
その病人の姿を見たお釈迦様は、
「私もいつあのように病に襲われるやも分からない・・・・」
と苦悶します。
別の日、お釈迦様は今度は西門から城の外に出てみます。
すると、葬式の列に遭遇します。
お釈迦様は
「生あるものはいつか必ず死ぬ。私もいつか死に、あのように見送られる時が来るのだ。もしかしたらそれは明日かもしれない、それは身分など関係なく皆同じことなのだ・・・・」
「老」「病」「死」を目の当たりにしたお釈迦様は、これらの人間である以上避けては通ることのできない現実に苦悶するのです。
最後にお釈迦様は北門から城の外に出てみます。
その時であったのが、法服姿の修行者です。
この修行者を見てからお釈迦様は自身も出家して「老」「病」「死」に直面してもゆるぎない幸福を求めたいと願うようになったのです。
この時の修行者として出家したいという思いがお釈迦様の出発点なのかもしれませんね。
3月 26, 2009
お釈迦様はその聡明さゆえに年を追うごとに悩みを深めていき、考え事をする時間が増えていきました。
そんなある日、ふと空を見上げると、虫を食べている小鳥を、更に強い鳥が襲っている光景を目の当たりにして衝撃を受けます。
「このような弱肉強食の世界は動物たちだけの世界のことだろうか?人間にも当てはまっているのではないだろうか?」と。
それまで王族として地位も名誉も財産も、そして才能にも恵まれていたお釈迦様が自分の立場に疑問を感じた時なのかもしれませんね。
そして自分の周りの世界に疑問の目を向けます。
インドと言えば、厳しい身分制度があることは皆さんもよくご存知かと思われます。
身分が違えば、結婚することは勿論出来なければ、話をすることすら禁じられるほどの厳しい身分制度。
武士は市民に権力を振りかざし、市民は奴隷に権力を振りかざす。
弱肉強食の世界は動物の世界も人間の世界も同じこと。
だからと言って、強者は幸せなのだろうかと考えてみる。
地位や財産がなければないと苦しむけれど、だからといって、地位が財産があっても、それがいつ奪われてしまうのではないかと苦しむ。
どっちに転んでも苦しんでいて幸せではないのだと世の中の矛盾にお釈迦様は考え込まれていたのだそう。
お釈迦様自身が当時地位も、名誉も、財産も、才能さえあるというのに幸せだと感じなかったからこそ、そのようなことを考えてしまうのかもしれませんね。
自身が幸せだと思っていれば、それに満足して考え事などしないでしょう。
3月 13, 2009
お釈迦様は本名をゴータマ・シッダールタと言います。
今から約2,500年前の4月8日、ヒマラヤ山脈のふもとで現在のネパールでかつて存在していた釈迦族の浄飯王と、妃マーヤー夫人との間に皇太子として生まれ、将来王になることを約束されていました。
マーヤー夫人は、初産のため、里帰りする途中、ルンビニーの花園で休憩しているときにゴータマ・シッダールタを出産されたのですが、そのお祝いととして今でも4月8日には花祭りと言って、お釈迦さまの誕生を祝う風習があるのです。
マーや夫人は出産後一週間でなくなってしまい、お釈迦様はマーヤ夫人の妹マハープラジャパティーによって育てられます。
当時は姉妹婚の風習があったらしく、浄飯王は五歳にマーヤ夫人の妹マハープラジャパティーを後妻に迎えているのではないかと言われています。
さて、その後のお釈迦様ですが、お釈迦様は幼いころから大変聡明だったようで、お釈迦様が7歳のときには文武の先生にバッダラニーとダイダイバーと言って、その道で国一番とも言われていた人たちを迎えています。
しかも一言えば十を理解し、学問だけでなく、弓道、馬術、剣道、相撲などを同じ年頃の友人たちと競っても負けることがなく、周囲を驚かせるほどであったそうです。
一を言えば十理解するお釈迦様が、バッダラニーとダイダイバーからもう教わることがなくなり、二人が父王に「もうお教えすることはありません」と辞職を希望してからは、独学で様々なことを学ぶことになるのです。
3月 8, 2009
お釈迦さま、とても美しい姿をされていますよね。
最近お釈迦様をはじめ、仏像をネットで購入することも容易になってきていることからも分かるように、仏像の人気が急激に上がってきているってメディアなんかでも取り上げられていますよね。
仏像が好きな女性のことを「仏女」なんて言うらしいのですが、、老若男女問わず、仏像は芸術的にもきれいだし、「仏女」とか特別視しなくてもいいと思うんですけど・・・・。
仏像のことは好きだけど、今まで何となく公言していなかっただけの人、多いだけじゃないかな。
そんな私もお釈迦様が大好きで、世間一般で言うところの「仏女」に当てはまってくるのかしら?
私がそもそもお釈迦様の存在を気にし始めたのは、小学生のころ、自宅で教員免許を持つ近所のお母さんが私塾をしていて、その家庭にお釈迦様がまつってあるんですけど、4月8日のお釈迦様の誕生日とされる時に、塾の生徒さんたち全員を集めて花祭りをするんです。
花祭りの意味を知らないままにただ甘茶をお釈迦様の頭の上からかけていた私たち。
甘茶の香ばしい香りと、おごそかな雰囲気。
そして美しいお釈迦様。
子供心になんと美しい空間なんだと感心しちゃいましたね。
それ以来、お釈迦様とは何ぞやと思いながらも調べず、ただ美しいからとお気に入りにしていましたが、今さらながらお釈迦さまについて少しは調べていこうかなと思います。
ちゃんとお釈迦様のこと、知っておかなくちゃね(^_-)-☆