仏法を聞く目的は何だろう
お盆も明け、夏も終わりかと思えば、
まだまだ残暑が厳しい日本熱島ですね。
少し番外編です。
先日、ふとしたことで
兄と2人で甲子園に行くことになりました。
25年ぶりでした。
帰省中の実家を8時前に出発し、
朝9時頃、甲子園に到着。
内野、特別自由席すべて満席だったため、
甲子園球場の後方までぐるっと周り、
右外野スタンドのイスに座りました。
すると、
体全身に響く応援歌、
厳しい暑さ、人の熱気、汗と焼けるような臭い、
そして何よりも、白球を追う高校球児の真剣さに
目頭が熱くなりました。
高校野球の第8日目の
北大津(滋賀)と前橋商(群馬)の試合でした。
球児と観客が一体となって
甲子園4万7千人が「感動」を共有していました。
甲子園球場に入るまでを考えると、
最寄り駅の阪神電車の「甲子園口駅」から人、人、人で
あふれていました。
2,3年で会う人、みーんなに、この1時間で
会ってしまった、という感じがするぐらいの
人の波でした。
ふと考えました。いったいこの人たちは何のために
甲子園に来ているのだろう。自分は兄との交換条件で、
来た、という気持ちでしたが、この人たちは猛暑の中、
自らすすんで来たのでしょう。
その目的はなんだろう、それは、
甲子園に入って分かりました。
「感動!」です。みんな「感動」を求めていたんだな、と。
特別、高校野球が好き、ではなかった私も
気づけば、応援合戦に参加したり、ヒットやホームランに
大はしゃぎで、家に残っていた家内に興奮気味の写メールを
何度も送っていたのです。
今、話題の
「もし高校野球の女子マネージャーが
ドラッカーの『マネジメント』を読んだら」
という本にも、高校野球の存在意義について
触れられていました。
高校野球は、
高校野球に携わるすべての人に「感動」を与えるもの、
と書かれていたと思います。
では、私が今、お釈迦さまの教え、仏教を学ぶ目的は何だろう、
それを一人でも多くの人に知ってほしい、と悩む自分のその
目的は何だろう、と考えました。
高校野球で得られる感動以上のもの、いや、比べられないものを
皆に伝えようとしているのならば、自分はどれだけ努力しているだろう、
工夫しているだろう。
もっともっと向上し、研究しなければならない、
宣伝せねばならない。
目的が大きければ大きいほど、どれだけその目的を
確認してもしすぎることはない、と高校野球を通して、
改めて考えさせられたのです。
ただの楽しい一時で終わらせてはならないと
思った暑い夏の1日でした。