Archive for the 'お釈迦様について' Category

初めてのご説法

 あっという間に10月も終ろうとしていますね。
 お釈迦様が悟りを開かれた後、どうなされたのか、前回の続きをお話しします。

 お釈迦様はかつて随従した橋陳如らの5人の救済を思い立ち、波羅奈国の鹿野苑に向かわれました。

 そこで橋陳如らは自分たちの修行を続けていたのです。やがて遠方より近づいて来るお釈迦様を見て、五人は相談し、気持ちを一つにしました。
「あそこに来るのは苦行を捨てて女人から乳ちを受けた悉達多だ。あんな堕落者に礼をするな。起って迎えることも彼の衣鉢をうけることもいらない。見ぬふりをしておろう」と。

 しかしお釈迦様が近づいてゆかれるにつれて五人は先の約束を守ることができなかった。

 大宇宙最高の悟りを開かれた尊い、あまりにもまばゆいお姿に「ああ……っ」と一人が座を立ち、お釈迦様を迎える。

「どっどうしたっ……」とその一人を止めようともう一人が叫んだが、お釈迦様の尊容を拝すると、もうジッとしておれない。すぐにお釈迦様の衣鉢をとり、礼拝する。

 ある者は座を設け、ある者は洗足水を持ってきて仏足を礼拝し、「せ……世尊!!」と叫んでぬかづいた。またたく間に5人はお釈迦様のもとに平伏したのです。

 お釈迦様はこの5人を前に大覚悟を公言なされました。そして「我は一切勝者なり。一切の智者なり」と宣言し、仏覚をひらかれてより初めての説法をなされたのでした。

 これを「初転法輪」と言われます。転法輪とは「仏さまの説法」のこと。仏さまの説法は荒れ果て、盤根錯節した私たちの心をローラーでならしてくださるので、「法輪を転がす」とあるのでしょう。
 そして、お釈迦様の説法を聞き、橋陳如ら5人はたちまち開悟したと言われます。

 かくして、80才でお亡くなりになるまで45年間の伝道生活が、ここに開始せられたのです。この間、仏として説かれたみ教えを今日、仏教と言われるのです。

 では仏教には何が教えられているのでしょう。誰もが知りたいことですね。釈迦45年のみ教えは今日一切経(七千冊余りのお経)となって残されています。

 では、一切経を一貫している根本思想とは何か。仏教の根幹とは?続けてお話ししたいと思います。

Posted by gokigenyo

お釈迦様と共通点のある聖人

お釈迦様が結婚されていると言うことはよくしられてますね。
よく修行者は妻子を持ってはいけないなんてよく聞くけれど、実は浄土真宗の中にも妻子をもたれた方がありました。
それは、親鸞聖人です。

浄土真宗親鸞会は親鸞聖人の教えをそのまま伝える集まりなのですが、
親鸞会の常訓は「我ら親鸞学徒は更に珍しき法をも弘めず、親鸞聖人のみ教えを我も信じ、他人にも教え聞かしむるばかりなり」です。
これは親鸞聖人の「更に親鸞、珍しき法をも弘めず、如来の教法を我も信じ、他人にも教え聞かしむるばかりなり」の精神にのっとったものです。
ですから、親鸞聖人の教え=仏教(如来の教法)なのですね。

さて、話を戻しましょう。
お釈迦様は、四門出遊の後、老・病・死に直面してもかわらぬ幸福を得たいと出家され、ついには悟りを開かれます。

さて、お釈迦様に
「うらみをもってうらみを消すことあたわず」

というお言葉があります。

「目には目を」の逆ですよね。
お釈迦様の教えは、人々を幸せにします。
また、それが本当の宗教だと思います。

宗教によって戦争を起こすことが愚かなことじゃないかなって思っている今日この頃です。

Posted by gokigenyo

お釈迦様と500人の美女

前述のお城の門を出て出家したいと願うシッダルタ太子(のちのお釈迦様)のことで書き忘れたことがあったので補足しておきますね。

4方向の門から出、老・病・死について苦悶し、最後に修行者と出会い出家したいと強く願うようになったことを『四門出遊』といわれます。

もの思いにふけられるようになったシッダルタ太子(お釈迦様)を心配し、父王は国一番の美女、ヤショダラ姫と結婚させます。

それでも太子の暗い心を晴らすことはできませんでした。
その後、父王はお釈迦様を何とか留めようと春夏秋冬・四季に合った御殿を建て、500人の美女に昼夜歌舞を奏させてお釈迦様を慰めようとしました。

それでも、本当の幸福を求める太子の心はとどめることはできず、
「出家したい」という思いを父王の前で申し出ます。
父王は驚きます。

当然ですよね。
地位も名誉も財産もましてや才能も生まれもっているというのに、それらすべてを投げ売って出家したいと言っているのですから。
普通その恵まれた環境からあえて修行の道を選ぶ人なんていないでしょうし、お釈迦様はその才能から次期王としてふさわしい人物でしたから。

父王は「何が不足でそんなことを言い出すのだ!望みは何でも叶えてやる」と言いました。

すると若きお釈迦様は
「それならば3つの願いがございます。
決して老いない体になること
決して病にならない体になること
決して死なない体になること
これらを叶えてくださるのであれば、出家せずにとどまりましょう」
と答えたのです。

その様な願いは叶えることが出来るはずもなく、父王はその場を去ります。

Posted by gokigenyo

お釈迦様の出発点

お釈迦様はいく日もこの人間の世界の矛盾について考えられ、ある日気晴らしにとカピラ城の外に出てみます。

東門から外に出ると、腰は曲がり、歯は抜け落ち、しわしわをした老人と遭遇します。
老人がよろよろと杖をついてやっとやっと歩いていくその姿を見てお釈迦様は
「私もいつかあのように年老い、体力もなくなくなって苦しむのだろうか・・・・」
と苦悶します。

別の日、お釈迦様は南門から城の外に出てみると、伝染病によって体はやつれ、生気もないような姿でうめき苦しむ病人に出会います。
その病人の姿を見たお釈迦様は、
「私もいつあのように病に襲われるやも分からない・・・・」
と苦悶します。

別の日、お釈迦様は今度は西門から城の外に出てみます。
すると、葬式の列に遭遇します。
お釈迦様は
「生あるものはいつか必ず死ぬ。私もいつか死に、あのように見送られる時が来るのだ。もしかしたらそれは明日かもしれない、それは身分など関係なく皆同じことなのだ・・・・」

「老」「病」「死」を目の当たりにしたお釈迦様は、これらの人間である以上避けては通ることのできない現実に苦悶するのです。

最後にお釈迦様は北門から城の外に出てみます。
その時であったのが、法服姿の修行者です。

この修行者を見てからお釈迦様は自身も出家して「老」「病」「死」に直面してもゆるぎない幸福を求めたいと願うようになったのです。

この時の修行者として出家したいという思いがお釈迦様の出発点なのかもしれませんね。

Posted by gokigenyo

お釈迦様の悩み

お釈迦様はその聡明さゆえに年を追うごとに悩みを深めていき、考え事をする時間が増えていきました。

そんなある日、ふと空を見上げると、虫を食べている小鳥を、更に強い鳥が襲っている光景を目の当たりにして衝撃を受けます。
「このような弱肉強食の世界は動物たちだけの世界のことだろうか?人間にも当てはまっているのではないだろうか?」と。

それまで王族として地位も名誉も財産も、そして才能にも恵まれていたお釈迦様が自分の立場に疑問を感じた時なのかもしれませんね。

そして自分の周りの世界に疑問の目を向けます。
インドと言えば、厳しい身分制度があることは皆さんもよくご存知かと思われます。

身分が違えば、結婚することは勿論出来なければ、話をすることすら禁じられるほどの厳しい身分制度。

武士は市民に権力を振りかざし、市民は奴隷に権力を振りかざす。

弱肉強食の世界は動物の世界も人間の世界も同じこと。

だからと言って、強者は幸せなのだろうかと考えてみる。
地位や財産がなければないと苦しむけれど、だからといって、地位が財産があっても、それがいつ奪われてしまうのではないかと苦しむ。
どっちに転んでも苦しんでいて幸せではないのだと世の中の矛盾にお釈迦様は考え込まれていたのだそう。

お釈迦様自身が当時地位も、名誉も、財産も、才能さえあるというのに幸せだと感じなかったからこそ、そのようなことを考えてしまうのかもしれませんね。
自身が幸せだと思っていれば、それに満足して考え事などしないでしょう。

Posted by gokigenyo

お釈迦様とは

お釈迦様は幼名をゴータマ・シッダールタと言われました。

今から約2,500年前の4月8日、ヒマラヤ山脈のふもと(現在のネパール)
で浄飯王と、妃マーヤー夫人(ぶにん)との間に皇太子として生まれ、将来王になることが約束されていました。

マーヤー夫人は、初産のため、里帰りする途中、ルンビニーの花園で休憩しているときにゴータマ・シッダールタを出産されたのですが、そのお祝いとして今でも4月8日には花祭りと言われる、お釈迦さまの誕生を祝う風習があるのです。

マーヤー夫人は出産後一週間でなくなってしまい、お釈迦様はマーヤ夫人の妹マカマヤ夫人(ぶにん)によって育てられます。

さて、その後のお釈迦様ですが、お釈迦様は幼いころから大変聡明だったようで、お釈迦様が7歳のときには文武の先生にバッダラニーとダイダイバーと言って、その道で国一番とも言われていた人たちを迎えています。

しかも一言えば十を理解し、学問だけでなく、弓道、馬術、剣道、相撲などを同じ年頃の友人たちと競っても負けることがなく、周囲を驚かせるほどであったそうです。

一を言えば十理解するお釈迦様が、学問の先生バッダラニーと武芸の先生センダイダイバーからもう教わることがなくなり、二人が父王に「もうお教えすることはありません」と辞職を希望してからは、独学で様々なことを学ぶことになるのです。

Posted by gokigenyo