Archive for the 'お釈迦様の修行' Category
親鸞聖人の教えと、お釈迦様の考えと同じではないかと私は思います。
さて、菩提樹の下で
「我れ正覚を成ぜずんば、終にこの座を起たず」
と覚悟をされたシッダルタ太子(お釈迦様)ですが、じつは乳買いの娘から新鮮な乳を口にしたおかげで回復したシッダルタ太子(お釈迦様)の姿を橋陳如ら5人の従者がひそかにこの始終を見ていたのです。
「遂に太子は苦行に耐え切れず墮落した。
修行者にとっては大蛇よりも恐いといわれる女人から乳を受けた。
あんなことでは絶対さとりなど獲られるものではない。
あんな墮落者に随っていたら、我々も一緒に墮落してしまうぞ。」
とささやきながらシッダルタ太子(お釈迦様)を見捨てて西方バラナシ国に去っていきます。
確かにこれまで苦行していたシッダルタ太子(お釈迦様)が急に苦行をやめ、女人から乳を受けたとなると気がどうにかなってしまったのではないかと驚くでしょう。
シッダルタ太子(お釈迦様)の心中まで覗き見ることはできませんからね。
私がその橋陳如であったとしても、そう思うでしょう。
慕っていたからこそ、よけいに腹が立つでしょう。
シッダルタ太子(お釈迦様)の元を去っていった者たちの心中も分かります。
さて、一人、修行なされるシッダルタ太子(お釈迦様)。
修業中幾多の怪奇現象がおこります。
女色愛欲の誘惑や化怪象の威嚇などなど、一説には、悪魔がシッダルタ太子(お釈迦様)が悟ることを恐れ、さまざまな罠を仕掛けたのか、心の奥底を象徴的にえがいたものかは伺いしることは出来ません。
数多の誘惑に揺るぎもせずに静かな山の如く、深遠なること海のごときシッダルタ太子(お釈迦様)の忍耐と剛毅によって誘惑を克服されました。
35歳の12月8日、お釈迦様は遂に一見明星して大悟徹底、三世十方の実相を諦観せられ、大宇宙最高のさとりをひらかれた仏陀となられたのです。
悟りをひらかれたお釈迦様は、これから彼の元を去った橋陳如達にまず会いに行きます。
そのことについては、これから追々紹介していきますね。
繰り返しになりますが、親鸞会は親鸞聖人の教えをそのまま伝え、親鸞聖人はお釈迦さまの教えをそのまま伝えられた方。
ということは、親鸞会はお釈迦様の教えをそのまま伝えていることになりますね。
お釈迦さまについていろいろ調べていたのですが、あるブログで親鸞聖人とお釈迦さまについて詳しく書いてありました。
さて、シッダルタ太子(お釈迦様)は、橋陳如とお供の者たちが城へ戻った後も苦行を続けます。
私たちの想像も及ばないような苦行です。
当時、悟りを開くためには苦行あるのみといった考えが当たり前でした。
シッダルタ太子(お釈迦様)もその考えにしたがい、節食・断食・呼吸の制御・特殊な立ち方や座り方などなど肉体的な苦痛を受け、五火の苦行をなどによって未来隊に打ち勝つ力をつけ、忍耐の精神と意思の鍛錬をするといったことを目的とした修行です。
しかし、これらの苦行をしても、まったくシッダルタ太子(お釈迦様)は悟りを開くことが出来なかったのです。
苦行によって心身ともに衰弱し、樹によりかからないと立っていることすらままならないお釈迦様は、苦行主義を捨てます。
「苦行によって衰弱した心身の力を回復しなければ、正しい智慧は生じない」
と考えたシッダルタ太子(お釈迦様)は、ニレゼンという河で水浴びをします。
垢を落とし、身を清められたのです。
しかし、苦行を止められたばかりの疲れ切った体では河に入ったものの、岸へはい上がる体力も気力も尽きていたのです。
そこへ通りかかった乳買いの娘にシッダルタ太子(お釈迦様)は一杯の乳の供養を請われます。
苦行によってやつれてはいたものの、シッダルタ太子(お釈迦様)のたぐいまれなる姿に乳買いの娘は喜んで新鮮な乳を捧げます。
新鮮な乳を口にしたおかげで、シッダルタ太子(お釈迦様)は気力を回復します。
そして悟りへの決意も新たにニレゼン河のほとりの菩提樹の下に座って
「我れ正覚を成ぜずんば、終にこの座を立たず」
と覚悟をされたのです。
お釈迦さまについて親鸞会のブログに書かれてありましたので、紹介させてもらいますね。
天上天下唯我独尊(釈尊) – 浄土真宗親鸞会 奥越親鸞学徒の集い
http://blog.goo.ne.jp/oonokatu21/e/5b5db203e802f89cd07dcd89b385c354
一樹の下で瑞座熟思しているお釈迦様を発見した橋陳如とお供の者たちは、一同に父王を始め、妻のヤショダラ姫らからの熱烈な伝言をお釈迦様に伝えます。
「世の中の出家の動機には4通りあります。
病気や老いの苦しみ、貧しさや愛する者との死別などです。
しかし太子(お釈迦様のこと)にはこの四つの動機とも当てはまりません。
年若くて壮健で、貧しさとは縁遠く、ご家族の方がたもお変りはありません。
だというのにどうして若い楽しみを捨て、一衣一鉢の粗末な姿になられて遠い悟りを求められるのですか?」
橋陳如とお供の者たちにはシッダルタ太子(お釈迦様)の気持ちは理解できないものだったでしょう。
聡明なシッダルタ太子(お釈迦様)に次期王として城に戻ってきてほしかったことでしょう。
五人は涙ながらにお釈迦様に変心を願って帰城を懇願しました。
しかし、仏覚を成就するまでは帰国しないというシッダルタ太子(お釈迦様)の決意は大地のように強く微動だにしなかったのです。
5人にシッダルタ太子(お釈迦様)がその時答えた言葉とは・・・
「お前たちにはわからないのか、あの激しい無常の嵐が、まだ分からないのか。
ものはみな常住しないのだ。いずれの日にか衰え、いずれに日にか滅ぶのだ。
快楽の影にも無常の響きがこもっているのだ。
美女の奏ずる弦歌は欲をもって人を惑わすのみだ。
三界は悩みのみ、猛き火の如く浮かべる雲の如くj、幻や水泡の如し。
若きを愛すれどやがて老いと病と死の為に崩れ去るのだ」
シッダルタ太子(お釈迦様)の火の玉のような菩提心を聞き、橋陳如とお供の者たちは涙をのんでいったん城へ戻ることにします。
ブッダ(仏陀)とも釈尊とも呼ばれているお釈迦様の出家への意志の強さがうかがい知ることができますね。
前回はお釈迦様と親鸞聖人と親鸞会の関係についても少しふれておきました。
おさらいしますとお釈迦様の教え(仏教)=親鸞聖人の教え(浄土真宗)=親鸞会、ということですね。
さて、今日はシッダルタ太子(お釈迦様)が出家されるあたりの頃の話から。
シッダルタ太子(お釈迦様)は、ある日、夜中にふと目を覚まされます。
すると、500人の美女たちが昼間の美しい姿はどこへやら、寝像も悪く眠りこけている姿を目の当たりにして驚愕します。
そして美しい女性たちのこの醜く眠りこけている姿こそが真の人間の姿だと出家を決断されるのです。
最愛の妻と幼い息子を抱きしめてから出家しよかとも思いましたが、抱きしめることによって目を覚ましてしまっては、出家を止めるに違いないと、後ろ髪を引かれる思いで城を出るのです。
シャノクという使者一人と白馬ケンジョク一頭だけを連れて。
シッダルタ太子(お釈迦様)が出家をされたのは、シッダルタ太子(お釈迦様)が29歳の2月8日のことでした。
若くしてこのような思いになられるとは、やはりお釈迦様としか言えないですよね。
父王はお釈迦様がいなくなったと知ると、即座に重臣たちを集め、お釈迦様の行方を聞きましたが、知る者は勿論いません。
父王は橋陳如(きょうちんにょ)という家臣に命じてシッダルタ太子(お釈迦様)を探させます。
橋陳如に4人の供をつけ、思いなおして連れ戻してくるようにと命じます。
国中を探し回った橋陳如達は、ようやく一樹の下で瑞座熟思しているお釈迦様を発見するのです。