Archive for the 'お釈迦様と親鸞聖人' Category

続「心と心、つながってるよ」

 じめじめとした天気が続いております。
平成22年も梅雨シーズンがスタートしましたね。
梅雨と上手につきあっていきたいものです。

 最近のインターネットの進歩は目を見張るものが
あります。

「ネットの世界では、1日24時間、地球の反対側の人とも
交流するチャンスがあります。(中略)
今、すべての人がインターネットにつながった環境を
つくることを目指しています。最も大事なことは、
「すべてのひと」が斉しく参加できるということです」

(『世界一やさしいネット力養成講座
 「ネットに弱い」が治る本』より)

 携帯電話、パソコン、そしてまもなく日本で発売される
iPadなどさまざまな機器を通して、人と人との交流、
どんな情報も、他人の日記やつぶやきまでも、
瞬時に知ることができる仕組みが整いつつあるのです。

 しかし、私たちが寂しい、と思う、その孤独感は
いやされているのでしょうか。

 このような技術が進むいっぽう、ますます
孤独や、不安感を募らせている人もいると
言われています。

 先日、ある新聞の投稿にあったことです。

 仲良しグループで食事に行ったが、そのグループの
一人(Aさん)だけ、たまたまその食事には
呼ばれませんでした。

 いつも仲良しグループのブログをチェックしている
Aさん。その晩、食事会のことに触れていた友達のブログを
発見。自分だけ誘われなかったことが分かり、とても
寂しく、嫌な思いをしたと言います。

 携帯電話や、インターネットが普及していなかった
時にはなかった悩み、不安でしょう。

 いつも心と心、つながっていたい、そんな心からの
寂しさは時代が変わっても、技術が進歩しても、変わらず
続いているのではないでしょうか。

「独生独死(どくしょうどくし)
 独去独来(どっこどくらい)」

の仏説に人間の本当の姿を知らされます。

 そんな中、私のすべてを知ってくださっている
方にお会いできたら、どんなに幸せでしょう。

 世界の光と言われている親鸞聖人は
有名な歎異抄の中に次のように仰っています。

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、
ひとえに親鸞一人が為なりけり、
されば若干(そくばく)の業(ごう)を
もちける身にてありけるを、
助けんと思し召したちける本願のかたじけなさよ」

「五劫」とは、仏教で一劫が4億3千2百万年のことですから、
気の遠くなるような期間のことです。

「若干の業」とは量り知れない悪い業のこと。

「永い永い間、熟慮に熟慮を重ねて誓われた
弥陀のご本願は、まったく親鸞一人のためであった」と
喜ばれた親鸞聖人のお言葉です。

弥陀のご本願とは何か、弥陀とお釈迦様とは
どのような関係があるのか。

 続けて聞かせていただきたいと思います。

Posted by gokigenyo

「心と心、つながってるよ」

もうすぐ春ですね~♪

 日本各地で
桜開花のたよりが届き始めています。

 その期待と希望の明るさとは
うらはらに
自ら生命を絶ってゆく人が
日本だけでも、どれだけいるでしょう。

 3月18日の朝日新聞に
「自殺予防を呼びかける県のポスター(富山県)」
ができたという記事がありました。

 そのポスターには
同県出身の漫画家・まつもと泉さんの
「きまぐれオレンジ★ロード」人気ヒロインが
描かれています。

 まつもとさん自身が病気と闘い、不眠や強い不安感に
さいなまれた経験があるということで、県からの依頼を
快諾した、と書かれていました。

 そういえば以前、
NHKの「おはよう日本」で
このまつもとさんの闘病生活が紹介されていたのを
思い出しました。

 その中で自分の病気について、
激しい頭痛で眠れない、生きているのがつらい。
しかし周りからは怠けていると思われてしまう。
そんな誰にも分かってもらえない苦悩を
次のように語っていました。

「父よ!母よ!信じてほしい……。

どれだけ説明しても分かってもらえない。
どう言っても分かってもらえない。
身内や近くにいる人こそ
理解してもらいたいのに
理解してもらえない。
どんどん孤独になっていきました」

自殺する人の中で病苦が最も多いことに、
とても人ごととは思えないと
まつもとさんは言います。

 このポスターのヒロインには

「心と心、つながってるよ」

というセリフがあります。

 その苦しみを分かってくれる人がいる。
あなたは独りではない、ということを
訴えたいのでしょう。

 私たちの孤独の実相を
お釈迦様は2600年前に

「独生独死 独去独来」(大無量寿経)

とおっしゃいました。

独りで生まれ、独り死んでいく。
独りやって来て、独り去りゆく。

すべて人は独りぼっちであると
教えられています。

さびしい、誰にも分かってもらえない。
そんな寂しい心を抱えている。

 どれだけ医学、科学が進歩し、
生活が豊かになり、便利になっても、
底知れぬ孤独に泣いている人間の心は
もう変わらないのです。

 そんな心が救われる時があるとしたら、
私の心の底の底まで知り抜いてくださっている方が
あるとしたら、どんなに幸せでしょう。

 お釈迦様の教えをそのまま教えられた
親鸞聖人は、有名な歎異抄に次のように
おっしゃっています。

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、
ひとえに親鸞一人が為なりけり、
されば若干(そくばく)の業(ごう)を
もちける身にてありけるを、
助けんと思し召したちける本願のかたじけなさよ」

どういうことをおっしゃっている
のでしょうか。

次回、続けてお話ししたいと思います。

Posted by gokigenyo

親鸞聖人ほど

 もう12月も半ばになりました。光陰矢の如し。時が経つのは本当に速いものですね。
ところで皆さん、今から1週間前の12月8日は何の日だったかご存知でしょうか。

 お釈迦さま成道の日です。「成道」とは成仏得道のことで、悟りを開いて仏になることを言います。約二千六百年前に仏になられたお釈迦さまは私たちに何を教えてくださったのでしょう。

 世界の3大聖人、2大聖人といわれても常にトップにあげられるお方、お釈迦さまは、全人類の救われる道を説き明かされていかれました。それが仏教です。その教えはたくさんのお経となって残されています。

 その数なんと七千冊以上。1日に1冊読めたとしても、20年近くかかります。しかも、難しい漢字ばかりで書かれています。使われている言葉も仏教専門の言葉ばかりです。現代の私たちがその教えを知るにはどうすればよいのでしょう……

 そのお釈迦さまの本意を、明らかにされた方が、日本にお生まれになった親鸞聖人、と聞けば皆さんはどう思われるでしょうか。

 前回の最後に親鸞聖人、常の仰せを紹介しました。

「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法をわれも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」

「更に親鸞珍しき法をも弘めず」とは、親鸞は今までだれも説いたことがない教え、親鸞独自の考えをお伝えしているのではない、ということです。では親鸞聖人、あなたはどなたの説かれた教えを伝えられているのですか、とお尋ねすると、「如来の教法をわれも信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」と答えておられます。

「如来の教法」の「如来」とは「仏」と同じことです。「教法」とは教えのことですから、「如来の教法」で「仏教」ということです。親鸞聖人は「仏教を私も信じ、皆さんにお伝えしているだけなんだ、それ以外にはないのだ」と仰っているのです。

 えーっ!?親鸞聖人と聞けば、浄土真宗の開祖、悪人正機の教えが有名で、当時までなかった独自の教えを創作せられた方、と思われている方もあるかもしれません。

 私も中学校の歴史の授業、高校の現代社会(今はなかったら済みません)という科目でそのように教えられてきて、かんかんに思っていたことです。

 それが親鸞会のご法話にご縁があって、この親鸞聖人のお言葉を知り、そうではなかったんだ、と初めて分かったんです。

 続きは次回にお話ししますね。

Posted by gokigenyo