一瞬の命でなさねばならないこと

6月も終わり、今年も半分が過ぎました。

小学生の時は一日一日が長く感じられましたが、
今になると月日が経つのは一週間、一月単位で過ぎていくように感じます。

ものすごいスピードで進んでいるのですが、それに気付かないで
いるようにも思います。

どこへ向かって進んでいるのでしょうか。

禅僧・一休は次のように言っています。

世の中の
娘が嫁と花咲いて
嬶としぼんで婆と
散りゆく

これは女性の一生ですが、男性も呼び名が違うだけで
同じコースをたどります。

確実に1日1日、散りゆくその時に近づいているのが人生であり、
本当は猛スピードで進んでいるのかもしれません……。

私の本当の相を譬えられたお釈迦さまのお話に戻ります。

飢えに狂った虎から、間一髪逃れ、崖に垂れる一本の藤蔓にすがる旅人。
この藤蔓は何を譬えられているのでしょうか。

これは私たちの寿命をあらわしています。

平均寿命が延びたと言っても、死ななくなるのではありません。
やがて必ず死なねばなりません。

やがて鳴き始めるセミはわずか1週間で死んでしまいます。
セミの1日は人間の10年にあたるようです。

私たちがセミを見ると何と儚いなぁ、短い命だなぁと思います。
一方、私たちは自分の命はまだまだ続くとぼんやりしています。

無量寿の仏さまから人間の一生をご覧になれば
私たちがセミに感ずる儚さよりも、もっともっと
私たちの一生の短さを儚いものと思われているに
違いありません。

だからこそ、太いロープではなく、細い細い藤蔓に
私たちの寿命を譬えられているのでしょう。

儚い一生で何をなすべきか。
「なぜ生きる」と問わずにおれません。

そして、虎から逃れたと思っている旅人はこの藤蔓にさえつかまっておれば大丈夫、
と安心しようとします。

すると空腹に気づき、辺りを見回すのでした。

そこで旅人が見つけたものは……。

つづく

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Posted by gokigenyo