人間に生まれることは有り難い?

厳しい暑さが続いています。
規則正しい生活、そして十分な栄養、水分補給で
この夏を乗り切りたいと思います。

前回の続きです。
浄土真宗親鸞会の講演会にて
聞かせていただいた内容をお話ししています。

人間に生まれてきたことを喜んでいる人はどれくらい
あるでしょうか。

自殺者について、北陸三県で富山が相当の差をつけて一番
多いそうです。
全国的に見ても一年で約三万人が自殺しています。

人間に生まれてきたことを恨んでいる人が多い中、
お釈迦さまは次のように仰っているのです。

「人身受け難し今已に受く」

人身とは人の体、人間、ということ。
人間として生まれることは難しい、とおっしゃっています。

日本一の金持ちになること。
選挙でしのぎをけずって当選すること。
そして世界中の人から認められるノーベル賞を取ることも
難しいです。

ある時、お釈迦さまのお弟子が、
人間に生まれることはどれほど難しいのですか、
とお釈迦さまに尋ねました。

その時、お釈迦さまは盲亀浮木の譬
というお話しをされています。

(お釈迦さま)
広い広い大海の底に一匹のめくらの亀がいた。
その大海に一本の丸太が浮いていた。
その丸太には穴が開いている。
その目の見えない亀が百年に一度
水面に顔を出すときに、ひょっと丸太棒の穴に
頭を入れることがあると思うか。

(お弟子)
何億年×何億年にはあるかもしれない。
ないとはいえませんが、めったにないことです。
ないといってもいいくらい、ないことです。

(お釈迦さま)
しかし人間に生まれることは亀が穴に頭を入れるよりも
もっと有り難いことなのだよ。

今日、有り難いという言葉はお礼の言葉に
なっています。有り難う、有り難く思います、などです。

本当は私たちは欲の深い者。出すのは刑務所の主人を
出すのもいやなのが欲。そんな欲深い人がよく私に
物を下されました、という意味です。

有ることがない、ということ。

だから日本一の金持ちになるよりも、
ずっとずっと難しいのが人間に生まれる、
ということなのです。

選挙に当選してさえ万歳しているのに、
人間に生まれて万歳している人がどれだけ
いるだろうか。

恨み呪っている人ばかりです。生まれ難い
ということが分からないのです。

親鸞聖人が尊敬されている方で
源信僧都という方があります。正信偈には

「源信広海一代教」(げんしんこうかいいちだいきょう)

とおっしゃっています。源信僧都は日本の方です。

往生要集という本を書かれた方です。
この本はすごい本で、あまりないことですが、
中国語に翻訳されるほど素晴らしい本です。
源信僧都は次のように教えられています。

まず三悪道を離れて人間に生るること、
大なるよろこびなり。

身は賤しくとも畜生に劣らんや、
家は貧しくとも餓鬼に勝るべし、
心に思うことかなわずとも地獄の苦に比ぶべからず。
(源信僧都)

三悪道とは三つの苦しみの世界であり、
そこを離れて人間に生れることは大変
有り難いことであると仰有っています。

人間に生れることは有り難いことなんだ。
これが真実なのですが、それが分からない。

人間に生れることが有り難い、
ということが分からない。
お釈迦さま、そして源信僧都が言われていることは事実なのか、
そうでないのか。

どうしたら喜ぶようになるのか。
どうしたら人間に生れることが有り難い、
ということが分かるのでしょうか。

生まれがたい人間に生れてよかった、
となって人命の尊重が出ます。

人間の生命は地球よりも重い。人命は尊重である。
しかしそう言われても言葉だけが踊っているのでは
ないでしょうか。

子が親を殺し、親が子を殺す。
虫けらのように殺されています。

お釈迦様は別の譬で仰っています。
人間に生れるのが一握りの土の砂であれば、
人間以外に生まれるのは大地の砂のごとし、
と教えられました。
人間に生まれているのは手の中の土のみなのです。

人間に生れることが難しい。
生れがたい人間に生れてよかったと
どうしたら知らされるのか。

いや、
知らない人ばかりなのはどうしてなのでしょうか。

それは

「人身受け難し今已に聞く」の次の
「仏法聞き難し今已に聞く」のところで、
仏法が聞き難いからだと教えられています。

そのことについて、続けて話していきたいと思います。

つづく

Posted by gokigenyo